五行詩をつづる岩崎航さんという方がおられる。以前より詩集を手にしていたが、先日NHKで「生き抜くという旗印 ―筋ジストロフィーの詩人・岩崎 航の日々―」という番組を見た。

3歳の時、筋ジストロフィーを発症され、小学校のころからだんだん歩きにくくなり、中学生3年生のとき立ち上がれなくなったという。高校は通信制で家からほとんどでない生活となり、孤立感、疎外感が深まり、テレビなどで同世代の人の姿を見ると、比べてしまい、疎外感が一層深まる。社会から取り残されている感じがし、どう人と関わったらいいかわからなくなったという。

このままでは未来がない、将来がないと悲観的になり、17歳のある日。ついに死ぬことを思い立つ。

しかしそのとき、死のうとおもっていた心と同時に、このままで死にたくないと、涙をこぼしたり悲しんだり、苦しんだりするためにだけ生きてきたわけじゃないだろう、せっかくこの世に生まれてきたわけだから、「このまま死んでたまるか」という気持ち、自分の奥底に、死にたいという奥に、生きたいという気持ちがあることに気がついた、とおっしゃった。

「たとえ何ものも 自らを 生きることの 芯までを 焼き尽くすことはできない」

生きていくという覚悟。その日から葛藤の日々は始まる。全く動けなくなり食事は胃瘻から、呼吸は人工呼吸器が必要となる。そんな自分に何ができるか。その思いの中から20歳のときから詩を書き始める。苦しいことつらいことをたくさん経験する。もし死んでしまっていればそれも経験しない。それでも「あのとき死ななくてよかった、生きてきてよかった」という。岩崎さんの生き様が、境遇は違えどもいろいろな方の生きる力となる。

五行詩を綴り続け、講演会も開かれる。その場面で、最後に会場からの質問で「先日中学生が自殺するという痛ましい事件があった。もし自殺しようとしている人がいたら、岩崎さんならどう声をかけるか」

というものがあった。それに対して、岩崎さんはおよそこのようなことをおっしゃった。

本当にどうしようもないほど追い詰められていたんだろう。そのことを思うと胸が詰まる。何があったかを何も知らない私がいうのは無責任かもしれない。けれどもそれでもいいたい。どんなことをしてでもどんな手段でもいいから生きてほしい。

もしタイムマシンがあって、死にたいと思った17歳のときに戻ったら、自分に対してもそういうだろう。これからどんな可能性があるかわからない。苦しいことも悲しいこともある、けれども死ななくて良かった、今生きていて良かったと思う、と。

立場も境遇も違う。本当にわかると言うことはその人に成り代わらないとできない。だからといって、何をしてもしょうがない、どうせわかりはしないんだから無駄だと、無力だ思うのは簡単だ。
 
しかし、ちょっとでも何か生きている一人一人、それぞれ人間として抱えているものの、そういうものが少しでも重なったり響き合ったりすることができれば、それこそ本当に生きる力になると思う。
 
自分自身も誰かにとってのそういう一人の人間として生きる苦しみの傍らに、苦しいときに寄り添って生きられるそういうふうな人に自分もなりたいと思う。
 
このように岩崎さんはおっしゃっていた。

岩崎さんは番組で自分でおっしゃっておられたように、人の助けをうけないと一瞬たりとも生きられない、という。しかし、死をくぐって生きなおされた岩崎さんが今立っておられるところは、どんなことでも焼き尽くすことのできない、一人で立てる場所である。そんな場所があるということが、いろんな炎に焼かれそうになる私に生きる勇気を与える。