「あんなふうになる前に死にたい」重い認知症の患者さんについて、このように言うのを病棟で耳にすることがある。それを聞く度に何とも言えない悲しい気持ちになる。認知症の患者さんには、食事の介助をはじめ、入浴介助、下の世話まで、看護師や介護職員が皆で行う。時には徘徊されるため、詰所に職員と一緒に座らされる。中には昼夜問わず叫び声を上げられる方もある。そのような患者さんを毎日みていると、そうなってまでなぜ生きなければならないのかという疑問が湧いてくるかもしれない。しかし生きる価値というのは、食事や入浴が自分ででき、理路整然と会話ができ、社会に適合できるという能力にあるのだろうか。
 
我々は普段、自分に能力があることを誇り、またそれを人から認められたいという欲求の中で生きている。その見方を他者に対しても適応し、能力が低下することでその人の価値をも軽んじ、その人を認められなくなる。
 
一方、自分が認知症になったらどうか。認知症というのは多くの場合、自分がそうであると自覚することができない。では、先のような見方のままで認知症世界に入り込んだらどうだろうか。自分の能力に変わりはないのに、周囲の者は急に私を非難し始めた。急に皆冷たくなった。自分は誰からも認められなくなった。ここに自分の居場所がない。どこにも帰るべき故郷がない。見捨てられた。そうして孤独に沈むのである。
 
詩人で児童文学作家の藤川幸之助氏の詩を紹介したい。八十四歳で亡くなるまで二十四年の長きにわたり母の介護をされてきた氏の詩に気づかされた。

「分からなくても/できなくても/心は豊かに/この世界を感じている」(『命が命を生かす瞬間』)

「・・・/言葉のない母の傍らに/ただ何もしないで黙って座り/見開いた眼でしっかりと母を見つめる/見つめなければ分からない/かすかな母の動きがある/眼張らなければ聞こえてこない/小さな母のうなり声がある/言葉にならないむき出しの母の心/言葉になる前の言葉ではないもの/伝えあいたいのは言葉ではないはずだ/我々は見つめ合うことを忘れて/あまりにも言葉に頼りすぎてしまった/・・・」(「眼張る」から一部抜粋『日経電子版』2012年11月9日)

この詩に際し、氏はこのように言う。母が私の中から人を思いやる気持ちを引き出し、私をどんどん人間らしくしてくれる。私が母を支えてきたと思ってきたが、実は母が私を支えて、私を育て続けてくれていたのだ、と。

言葉にならない言葉でないものが私を育むとはどういうことか。

「言葉というものは人間を成り立たせているものだが、人間の故郷はかえって離言である。離言の存在性が人間に語りかける言葉、存在の言葉、あるいは声なき声といってもいい、そういうものが南無阿弥陀仏であろう。」(安田理深講義集4「存在の故郷」)
 
藤川氏と認知症の母との関係は、ただ近くにいるとか、能力を認め合うという関係ではなかった。支え支えられる関係として、離言の法性(*1)を共に聞くことのできる場が開かれていたのではないか。だからこそその二人の姿に、能力や条件とは無関係の、摂取不捨の利益にあずけしめたまう(*2)、人間の故郷を垣間見るのかもしれない。

(*1)
日常の思いや言葉を離れた、存在についての真実

(*2)
歎異抄第一条
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々。

(病と生きる(9)『崇信』2016年5月号より)