先日、以前から親交のある、前の職場の先輩宅にお邪魔しました。三人目のお子さんが生まれたということでそのお祝いです。仏教式でお祝いをしてほしい、ということになり、させていただきました。
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小さいお兄ちゃんとお姉ちゃんが手を合わせる姿がなんともかわいらしかったのですが、また同時に仏様に手を合わせるということについて、いろいろ教えられた気がします。

今、目の前のこの子まで、いのちの歴史がつながって、私たちの想像をはるかに超えた無数のいのちの願いがつながって、今ここで出遇わせていただいたということの有り難さ。そして人として生まれ、人として人生を全うするというのはどういうことか。そんなことを考えさせられました。

仏様に手を合わせるということは、仏様からの呼びかけを聞く、「いのち」のほんとうの願いを聞くことであるといいます。私たちは成長し発達するにつれて、いろんなことが出来るようになる一方、いろんなことが見えなくなります。自分の思いに行き詰まり、自分の思いから他人と争う。ほんとうはそうしたくないのに。成長しつつも、自分の思いに惑わされることなく、人を、そしていのちをまっすぐに見る眼を失わないでほしい、そう願われているのでしょう。

これからどんな時代になるのか、どんなことが待ち受けているのか、それは誰にもわかりません。時代や状況は自分の意志で選べず、そこを生きなければならないということがあります。そして一生のうちには「老病死」を始めとする想像できないようないろいろな困難あります。しかしそうであっても、その中をしっかりと歩んでほしい、どんな状況であったとしても道を見失うことなく、「生まれてきてよかった」といえるところを歩んでほしい、「幸せになる」のではなく「幸せである」ということに気づいていほしい、そう願われているのでしょう。

私もそうやって願われてきた、それをすぐ忘れてしまうようです。存在の尊さを忘れてしまうようです。年を忘れるように・・・。